米国在住35年のURTA代表が教えるワシントンDC生活便利情報

U.R.T.A.代表の海野優です。この度、米国在住35年目を機にブログをはじめました。米国留学後、1996年にU.R.T.A.(Unno Research & Travel Assistance)という会社をメリーランド州に設立し、主に日本からワシントンD.C.エリアに留学・派遣された皆様に対して物件紹介・生活立ち上げ・各種契約、手続きへの通訳同行・研修企画・個人旅行などのサービスを提供しています。これまでに人事院・法務省研修、NIH留学、ロースクール留学などで来られた国家公務員・研究者・会社員の皆様にご利用をいただいていてきました。

カテゴリ: 自己紹介

URTA代表の海野優です。Facebookでの告知などもあり、少しずつですがブログへのアクセス数が増えてきていて、大変嬉しく存じます。今後もご愛読いただけるよう記事の執筆にはいっそう努力をいたします。さて、今日は自分自身の執筆活動について書いてみたいと思います。現在、私はURTA代表を務める傍ら、書籍・電子書籍・フリーペーパー・リーフレットへの執筆活動を手がけております。長らくワシントンD.C.で旅行業に携わってきた関係から「米国史」や「日米関係史」といったテーマにくわえ、近年では医療・看護系学生のワシントンD.C.での看護研修をコーディネートしている関係から「留学」「海外研修」といったテーマでの執筆経験もあります。さらに2013年には南ベトナム出身の妻の半生を描いた自伝を出版するという経験もいたしました。

1.ダイヤモンド社『地球の歩き方ワシントンDC』
まず、皆様に馴染みが深い書籍から挙げますとダイヤモンド社から刊行されている『地球の歩き方ワシントンDC』です。改訂版に関する情報収集も先日終えたところです。全ての記事を担当してるわけではありませんが、ワシントンD.C.近郊のレストラン、ホテル、観光情報の収集に加え、DCにまつわる歴史コラムを中心に執筆をさせていただいております。例えば「歴代大統領よもやま話」と題するコラムでは、トーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムス、エイブラハム・リンカーン、JFKといった歴代大統領の歴史上のエピソードを紹介しています。また、日本に関連するところでいくと「ワシントンでの岩倉使節団」「太平洋を渡ったニッポンの桜」「ワシントン時代の秋山真之」といったコラムを書いております。よくお客様の案内をしておりますと、市内でよく『地球の歩き方』を持って歩かれている観光客の方がいらっしゃいます。この本の黄色い表紙を持った方々が楽しそうに市内を散策されている姿を見ると、情報収集で一軒一軒レストランをまわった時の苦労も吹き飛びます。さらに先日も台湾人の学生から「台湾や中国にはこのように情報が網羅され便利に使えるガイドブックは売っていない、日本人のアイデアと緻密さは素晴らしい!」とのコメントをいただき、さらに記事の執筆と情報収集に力が入りました。観光地だけで無く、レストランや各種サービスの情報も掲載されておりますので「御守り」代わりに一冊購入されるのも良いかと思います。






2.フリーペーパー「SAKURA」
ワシントンD.C.近郊で隔週で配布されているフリーペーパーに「ワシントンに夢と花を咲かせた日本の桜」と題したエッセイを連載しています。1912年に東京市(当時)の尾崎行雄市長は日米友好の印として桜をワシントンD.C.に寄贈しました。現在ではワシントンD.C.の象徴の一つとして愛されているポトマック河沿いの桜並木ですが、1910年に寄贈された1桜の悲劇についてご存じの方は少ないかと思います。実は1912年に寄贈される2年前に、既に日本から最初に寄贈された桜は米国に届いていました。この桜については、当時のタフト大統領をはじめ、多くの人々が植樹を心待ちにしていましたが、植物検疫の際に病害虫が発見され2,000本もの桜が焼却処分されてしまいました。日米友好の架け橋として寄贈に奔走した人々にスポットを当てながら、エッセイの連載を続けております。ウェブ版での閲覧(無料)も可能ですので、日本の皆様もぜひご一読いただければと思います。

3.エッセイ「東京慈恵医科大学看護学科生のアメリカ研修」(ウェブマガジン『留学交流』2011年5月号vol.2に掲載)
2006年より東京慈恵医科大学医学部看護学科の学部生の皆さんが、ワシントンD.C.のプロビデンス病院で看護研修をされる際のコーディネートに携わっております。同エッセイではこのプログラムが立ち上げられた経緯と、大学教育における「国際化」や「多様化」が叫ばれる中で、プログラムに参加した学生たちがプロビデンス病院でどのように学び、またその結果何を得たのかについて記しております(記事PDF)。 

4.単著『ホアンー雨のサイゴンー』(WASEDABOOKS) 
ご存じの方も多いかと思いますが、私の妻は南ベトナム出身です。もともと南ベトナムの行政大学を卒業後に同政府の国税庁に勤務していましたが、南ベトナムが北ベトナムに占領された後、1977年にベトナムを脱出し、日本での滞在(神戸・鎌倉)を経て米国へと移住しました。もともと、この本は子ども達に母親の半生を知って貰いたいという気持ちから、妻が南ベトナムの首都サイゴン陥落(1975年)から現在までを彼女の視点でつづったものでしたが、日本国内の出版社から出版のお話をいただき、私が再度妻の書いた自伝を下敷きにして、加筆・修正、歴史考証などをおこなったうえで、再編集をおこない、電子書籍という形で出版・販売をいたしました。日本語版に加えて英語版、ベトナム語版も順次刊行予定です。こちらにつきましても、ご興味がありましたらご一読ください。
 
今日も長文となりましたが、最後までご覧いただきまして有難うございました。

ブログ訪問者のみなさん、はじめまして。ブログを運営する海野優(Yutaka Unno)と申します。2014年で私の米国生活は35年となりました、これを契機にWashingtonD.C.エリア(Maryland、Virginiaを含む)の生活情報を発信していきたいと思い、このブログを立ち上げました。

私は静岡県静岡市の生まれで、三人きょうだいの長男です。父は信用金庫に勤務するサラリーマン、母は専業主婦でした。大学院在学中に縁あって文部科学省の外郭団体へと就職しました。転機が訪れたのは就職後しばらくしてからのことです。仕事を通じて、東南アジアや南アジアの諸国との関係機関とやり取りや海外出張を経験する中で「国際感覚」を身につけることの重要性を認識しました。しかし、当時の日本では国内で「国際感覚」は研ぎ澄ますことは難しく、米国への留学を決意しました。

米国への大学院留学後、私はWashingtonD.C.の日系旅行会社に勤務し、1997年より同社の支店業務を継承する形でURTA(Unno Research & Travel Assistnce)を開業いたしました。当初は通常の旅行会社のようにツアー旅行のコーディネートやガイド業務などを事業の中心としておりました。しかし、あるお客様のお話がきっかけとなり、米国に研修や留学で来られた日本人のお客様の生活を総合的にサポートする企業へと、その体制を移行いたしました。

かれこれ、十数年前になります。私は当時、WashingtonD.C.市内に事務所を構えておりました。あるとき『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)を手がかりに、私どもの事務所を訪ねてこられたお客様がありました。お客様はメリーランド州立大学に客員研究員としての派遣された日本人の大学教授の方で、聞けば滞在してたホテルを出たので新しい滞在先を斡旋してほしいとのことでした。新しい滞在先を紹介したことが縁となって、こちらのお客様を夕食に招待することにいたしました。その際に、お客様は「一日中、一人で史料収集をした後、疲れてホテルに帰っても一人、食事をするのも一人」というご自身の生活の実情をお話されました。

私はこのお話を聞いて「ハッ」となりました。それは、渡米したばかりの自分自身と同じ状況だったからです。米国で何不自由なく生活が出来ている今の自分とは違い一人で学び、一人で食事をし、一人で生活をする、すべてのことを自分一人で解決をしなければならなかった生活です。もし、誰かが傍らにいてくれてアドバイスをくれたらどんなに良かったか。あるいは、落ち着いて日本食を食べながら日本語で話せる場があったらどんなに良かったか。

そのようなことを考えているうちに、自分自身が持つ経験やノウハウを活かして、同じように困難に直面されている日本人のお客様を側でサポートするサービスを、またサービスを利用してくださっているお客様同士の交流を促進するようなビジネスを立ち上げようと考え、今のようなURTAの体制へと移行しました。

URTAのサービスに加え、本ブログでの情報発信を通じてWashingtonD.C.エリアにおいて、もっと日本人の皆さんが活躍していただける、あるいは円滑に生活を進めていただけるようなお手伝いが出来れば幸いと思っております。

なお、記事の執筆には事前のダブルチェックなど万全を期しておりますが、万が一記載内容に誤り等があればお知らせいただければ幸いです。また、ブログ内で紹介している「商品名」や「企業名」等はあくまでも一例として挙げているものです。必ずお客様ご自身の責任で情報確認・収集のうえ商品の購入やサービス契約の締結のご判断をなさってください。

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